「わきまえないオッサン」はズカズカと他人に絡んで言いたいことべらべらしゃべって、「わきまえるオッサン」はそもそもそんなことをしない。
果たしてどっちが人生を謳歌しているのか。
これ、めっちゃ面白い議論。
わきまえたオッサンの人生は楽しいのか
もともとはえんたログさんのこのポスト。
私は根がわきまえてないオッサンなのでこの一部「だけ」を拾ってこんな記事を前回書きました(笑)
他人のコメント欄に長文たたき込むぐらいのパッションあるなら自分で発信すればいいやん、という内容です。
さておき、果たして「わきまえたオッサン」ムーブをひたすらやって人生は楽しいのか?それについてはいろいろ疑問が湧きます。
いろんなケースがありそうなので仮想QA方式で
ということで、ちょっと仮想QA形式で考えてみます。答えているのは私の中の仮想「すごい人」、つまりはいつもコメントするときに自分が気をつけている事です。
Q. わきまえて何もコメントしなければ自分は存在しないのと同じにならないですか?
A. まあそうだけど、だからといって長文コメント書く必要は無い。交流なんだから相手が喜ぶことを書いたがよい。そもそも存在を知ってもらうとかは自分都合。自分の存在価値の証明は他でやろう。自分で発信はあり。
Q. 場合によっては当てはまらないことを言っているので指摘したい
A. これは基本ありがたい場合もあるが文字数の関係上わざと端折ってる場合もあるという相手の都合は気に留めておこう。その時はそういうから言ってもらった方がありがたいけど、上から目線な言い方はやめよう。どの前提で言ってるのかは見る・読む側も気をつけような。
Q. コメントで有名人と絡んだら自分も有名になるかも
A. 有名になりたいなら自分で価値あるモノをだそう。Youtubeとかはコメント多いとレコメンドされやすいらしいので、返事期待せずにコメントするのは相手にとってもよいかも。
Q. わきまえたオッサンを意識してたら誇れるモノが何もない自分には新しい事が出来ない
A. これはまたちょっと違う意味での「わきまえたオッサン」ですね。人に迷惑かけない範囲で人目は気にせずやりましょう。誰もあなたのことは気にかけないので自由にやったらよろし。時には迷惑かけてもそれ以上の恩で返す気持ちは必要かも(でも知らない人に迷惑かけるなよ)。
昭和から言われている当たり前のことばかり
結局の所、あーもう私はやはり凡人で昭和のオッサンなので昔、親に言われたような当たり前の答えばかり。
でも、この年になって改めて見ると「結局、そういうことなんだよな」と腹落ちするもんですね。
そんなわけで「人に迷惑かけない範囲でわきまえないオッサン」が人生たのしいんじゃないでしょうか。
それでは!!