情報を収集するだけでは活用できないなと気づいた話。
記憶に残ってないし行動も変わってない
以前、こんな記事を書きました。
この記事のテーマは「継続」で、それについては一定の効果があるかなとは思っています。
ただ、この記事の例に出ていた「仕事関連のニュースをみるようにするために社内SNSに共有する」というアイディアですが、最近これだけだとイマイチだなと思い始めてきました。
というのも、章のタイトルに書いているように記憶にまったく残らないのです。記憶に残らなければ何も活用出来ない。
実はちょっと前まではまだマシでした。
その時はニュースを読んで自分なりの感想を一言添えてシェアしてたんですね。
いったい記事の中のどこが気になったのかとか、この考えは自分の活動のここに流用できるのでは?とかそんなことを書いていたわけです。
ただ、ちょっと自分のその一言コメントが人によってはキツく感じるかもしれない(自分が批判されていると捉える人がでてきそう)と思って、でも情報としてはシェアしたが良いと思ったので、一言コメントを辞めたんですね。そしたら、全然記憶にのこらないんです。
記憶に残らないので、どこでそれを話すことも無く集めた情報はまったく活用されてないということになってしまっていました。
あらためて情報の整理手法を知った
たまたまですが、この記事に出会いました。https://note.com/embed/notes/n5833578984bf
ここで紹介されているZettelkasten(ツェッテルカステン)という情報整理のワークフローにいろいろとヒントがありました。
自分の理解を図にするとこんな感じ。

ツェッテルカステンのワークフローはいろんな情報やアイディアを「文献メモ」や「一時メモ」に記録し、それらを元に「永久メモ」に統合して最終的なアウトプットにつなげるような形になっています。
で、この中の「文献ノート(Literature note)」は元の情報ソースの内容をまるごとコピペするのではなくてある程度自分で要約、自分の考察も入れる事になっています。
そう、私がやっていた自分なりの感想を添えるってことをやるわけなんです。
要約・考察することが大事
何かアドバイスやヒントをもらっても一旦自分の言葉に置き換えないとピンとこないことないですか?それが仮に的外れな変換になってるんだろうな…と思っていても。
むしろ自分の常日頃考えてた事とかと繋がらないと有益なアドバイスだわ~とすら感じなくないですか?センサーに引っかからないというか。
結局、自分で考えて今の自分と繋がる言葉に置き換えないと、結局「ピンとこない」し役立てられないってことだと思うんですよ。
自分の実力不足でよくわからないとかもあるけど、そういう情報もセンサーにひっかけられるように知識をつける、そのためには考察、要約していく、自分の理解を整理していく、いずれは大元の情報の真意をくみ取れるようになる、というような流れが大事だなというのが自分の中で整理がつきました。
ツェッテルカステンよいかも
こういう事を今まで全然できてなかったかと言うと割と似たようなことはやってるのですが、やはりその時々で感覚的にやってて、うまくやれてる所とやれてないところがありますね。
しばらく、ツェッテルカステンを意識しながらいろいろやってみようかと思います。なんかよさげです。
それでは!